
奈良に残る正倉院は、
単なる宝物庫ではないように思います。
そこに並ぶ宝物を見ていると、
約千三百年前を生きた人たちの、
「美しいものを残したい。」
という想いそのものが、
静かに閉じ込められているように感じるからです。
正倉院には、
聖武天皇が生前大切にしていた品々が、
光明皇后によって東大寺へ納められたと伝えられています。
私は、その話を知った時、
ただの文化財ではなく、
一人の人間が愛したものが、
時代を越えて受け継がれているのだと思いました。
面白いのは、
そこに集められた宝物たちが、
決して日本だけの文化ではないということです。
鮮やかな螺鈿。
遠い南方から運ばれた夜光貝や鮑の真珠層。
深い色合いを持つ紫檀。
文様の中を流れる葡萄唐草。
どれもシルクロードを旅し、
海や砂漠を越えて奈良へたどり着いたものです。
天平の人々は、
遠い異国の文化を受け入れながら、
日本独自の美しさへと育てていきました。
だから私は、
正倉院の宝物を見るたびに、
昔の人も今の私たちと同じように、
美しいものを見つけて、
心を動かされていたのだろうと思うのです。
そして、
工芸を学ぶ者として、
いつも最初に考えてしまうことがあります。
「どうやって、これを作ったのだろう。」
精密な機械もない時代に、
人の手だけで、
貝殻を薄く削り、
木にはめ込み、
一本一本の線を重ねていく。
その気の遠くなるような時間を想像すると、
作品というより、
人の執念や憧れを見ているような気持ちになります。
私は歴史が得意ではありません。
年号も、
人物の名前も、
今でも正直よく分かりません。
けれど、
一つの宝物を見つめていると、
「どんな人が作ったのだろう。」
「どんな景色を見ていたのだろう。」
そんなことを考え始めます。
私にとって正倉院は、
歴史を学ぶ場所ではなく、
千三百年前の作り手たちと、
静かに会話ができる場所なのかもしれません。














