蘇芳

私は、
ワインを飲む時、
まず香りを楽しみます。

グラスを少し回して、
ゆっくりと鼻を近づける。

その時間が好きです。

色もまた、
同じくらい好きなのかもしれません。

深い赤。

少し紫がかった赤。

光に透かした時にだけ見える、
静かな色の変化。

正倉院の宝物を見ていると、
そんな色に出会うことがあります。

「蘇芳」。

楓蘇芳染螺鈿槽琵琶にも使われている、
古い染料の名前です。

私は最初、
木の名前だと思っていました。

けれど、
調べてみると、
蘇芳は東南アジアなどに生育する樹木から作られる染料で、

海を渡り、
長い旅をして、
奈良へやって来た色でした。

千三百年前の人たちは、

この色を見て、
何を感じたのでしょう。

美しいと思ったのか。

珍しいと思ったのか。

あるいは、
遠い異国へ想いを馳せていたのかもしれません。

私は、
古い工芸品を見ていると、

技術だけではなく、

「この色を残したい。」

そんな人の気持ちを感じることがあります。

自然の中にある木や花から色を取り出し、
布を染め、
木を染め、
作品へと宿していく。

そこには、
現代の絵具や塗料とは少し違う、

自然と共に生きていた時代の優しさがあるように思います。

私は、
この「蘇芳」という響きも好きです。

どこか柔らかく、
静かで、
少し懐かしい。

そして、
その名前を知った時、

楓蘇芳染螺鈿槽琵琶という宝物が、
ただ美しいだけではなく、

遠い国からやってきた色や、
それを大切に受け継いだ人たちの物語まで含んでいることに気づきました。

私は作品を作る時、

昔の人が見た色を、
そのまま再現したいわけではありません。

その色を見た時に、
心が動いた理由を知りたいのです。

もしかすると、

私が一本の線を描き、
一つの色を選ぶことも、

千三百年前の職人たちが、
蘇芳という赤に魅せられた気持ちと、
どこか繋がっているのかもしれません。



※ 蘇芳は、
マメ科の樹木から得られる天然染料で、
古代には貴重な赤色染料として珍重されました。

シルクロードや海上交易によって日本へ伝わり、
天平時代の工芸品や染織品にも広く用いられています。

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